今日のブログは、2010年に書いた記事を一部加筆したもの。母が亡くなった5か月後に書いた記事です。
私が幼い頃、母の行なってくれた「読み聞かせ」は独特なものでした。本を普通に読むだけではありません。私たち姉妹を巻き込んだ、「参加型の読み聞かせ」をしてくれたのです。
具体的にはこうです。
新しい本を読む時、母は途中で本を閉じて、
「このあと、メリーはどうなると思う?」と質問します。
私たちが思い思いに予想した答えを言うと、「なるほどね~」とか「そうかもしれないね!」とか母は必ず相づちを打ってくれました(「違うよ」とは一度も言われたことはありません)。
また、読みなれた本に関しては、
「今日はストーリーを変えてみよう」と言って、これまた途中で本を閉じます。
例えば、「桃太郎」の本だったとしますよね。母は私たちに途中まで本を読んで聞かせ、その後の展開を実際とは異なる内容にするという遊びを始めます。
「桃太郎は鬼退治に出発しました。でも桃太郎は方向音痴だったので、途中で道に迷ってしまい……」
「桃太郎は、ネコとダチョウとカラスを連れて、鬼が住む島に向かいました」(本当はイヌとキジと猿)。
などというように、オリジナルの内容を変えるというものです。
私はこれで、想像力がかなり鍛えられたと思います。また、自分なりに話を作って、それを人に聞かせるには「構成力」が必要です。これに関しても大変よい訓練になりました。
こんな読み方もしました。
本を台本のようにして、配役を決め、劇の練習のように音読するという「演劇読み」です。
母はいつも、真っ先に一番良い役を自分で演じようとしました。…大人気ないでしょ?(笑)。
★母「お母さんはナレーターとミーコ(主人公)役ね。あっけ(私)は…子豚、まっちゅ(妹)はペットの犬の役ね」
★私「え~っ…私もミーコがいい!子豚なんてイヤだよ!」
★母「わかった、わかった。次はあっけがミーコね。まずはお母さんがミーコやるから。」
こんな具合で、いつも一番楽しんでいたのが母でした。
この「演劇読み」では、母から私たちへのダメ出しが結構ありました。
「この場面の前で、ユミちゃんのおばあちゃんが死んでしまったんだよ?それなのに、そんな明るい声を出すかなぁ?」とか、
「それじゃあ、全然びっくりしているように聞こえないよ」とか。なかなか厳しいのです。
この演劇読みを通して、登場人物の心情把握の方法や、言葉遣い・言い回しを覚えました。
ただ聞いている、ただ黙読しているだけではなく、口に出してセリフのように言ってみることによって、言葉が「生きた」ものになったのでしょう。
次から次へと本を用意して子どもに読み聞かせるのも良いのですが、ボロボロになるまで読み尽くした本でも、工夫次第でこのように楽しい「教材」として生まれ変わります。実際に、私はこんな変わった「読み聞かせ」で、国語が大好き&大得意になりました。
それも全て母のおかげだと思っています。