塾長ブログ

悲しみを忘れる機能。

私は「酸素学」を通じて、人体について少しばかり勉強をしました。

そして感じたのは…

人間の心身は「生きるための機能」を備えているのだ、ということです。


人間は必ずいつかは死にます。

でも、「死ぬために生きている」わけではありません。

「生き抜く」ために、この世に生を受けたのだと思います。

「死」というものは大抵の人にとって、未知の恐怖であり、不安であり、憂いです。

誰しもそれを意識していますが、「いつか死んでしまうのか…。イヤだな。死にたくない!」と、朝から晩までず~っと考えている人はほとんどいないでしょう。

健康な人にとって、死…なんていう爆弾を常に胸に抱きながら生きることはなかなかできません。

いつも死に怯えていると、健全な心持ちで生きていくことが難しいからです。

だからきっと、普段は死を「忘れる」ように脳にプログラムされているのではないでしょうか。

よく、「いつ命が尽きるかわからないから、今を精一杯生きましょう」と言いますよね。

異を唱えるつもりはありません。私もそう思います。

だけど、その決意や意識が長く続かなくて、いつの間にか忘れてしまう…。

そんな自分が嫌になったり、後悔してしまったりすることってありませんか?

私たちの意志が弱いからとか、飽きっぽいからとか…そんな理由ではなくて、

それにも死を忘れる機能が働いているからではないかと思うのです。

だから、「命が尽きる…」と言うことが、なかなか現実味を帯びてこない。

「人の気持ちになって考える」ということも同様です。

他人の痛みを我が痛みのように感じられるのは、人間の持つ優れた才能の1つでしょう。

でも、ずっとは続きません。

痛みを負った人と同じように、24時間心を痛めることは難しい。

どんなに思いやり溢れる人でも、当人の痛みを丸ごと代わってあげることはできません。

今、震災で多くの人が悲しみの中にいます。

被災しなかった私たちも、何とか力になれないか、日夜 気を揉んでいます。

苦しみに寄り添ってあげたいと心の底から思っている人も多いでしょう。

諸外国から絶賛されている「日本人の思いやりの深さ」は、本物だと思います。

環境が作り出した民族性かもしれませんが、私は日本人であることを誇りに思っています。

そんな私たちは、こうも考えがちです。

私たちばかり、こんなに美味しい物を食べて…被災地の方々に申し訳ない。

こんな時に笑うなんて不謹慎だよね。私って冷たい人間なのかな?

いいえ、違います。

冒頭でも書きましたが、人間は「生きるための機能」を備えています。

自分自身の人生を精一杯生き延びるために、生まれてきました。

人の痛みを理解しよう、と考えることは必要なことです。とても重要なことです。

だけどそれも必要以上に考えることが「できない」ようにプログラムされているのではないか。

そう私は思うのです。

悲しみ・苦しみの度が過ぎて、病んでしまわぬように。

唯一無二の自分の人生を健全に生き抜くために。

人間の心身は、苦しみを「忘れる」ようになっているのではないか、と。

この場合の「忘れる」ということは、「薄情」でもなんでもありません。

前向きで明るく、喜びを感じながら健康的に生きていくための「本能」。

そんな気がしてなりません。


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