「こころ」はだれにも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える…
今、テレビをつけると、エンドレスリピート気味に公共広告が流れていますよね
これは、詩人である宮澤章二さんの作品の一節です。
宮澤さんは唱歌や童謡、校歌の作詞を主に手がけた方で、「ジングルベル」の日本語詞はその作品の1つです。
青少年向けに書いた作品を多く遺している作者の詩は、教育現場にいる私にとっても心に響くものばかり。
「行為の意味~青春前期のきみたちに」
あなたの「こころ」はどんな形ですか?
と、ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも「こころ」は見えないけれど
ほんとうに見えないのであろうか
確かに「こころ」は見えないけれど
「こころづかい」は見えるのだ
それは人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の「思い」は見えないけれど
「思いやり」はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が
あたたかい行為になり
やさしい思いが
やさしい行為になるとき
「心」も「思い」もはじめて美しく生きる
それは人が人として生きることだ
「自分の一歩」
いま わたしの踏みしめる一歩は
だれか他の人の一歩ではない
私の足が地上に刻む一歩は
いつでもわたし自身の一歩なのだ
他の人より一歩先を歩くからといって
他の人より優れているとは限らない
他の人より一歩後を歩くからといって
他の人より劣っているとは限らない
自分の目標を定めて歩きだしたのだから
自分の一歩をしっかりと信じて進もう
その決意が 最後まで歩く力を生む
出発点には「人生」などまだない
到着点にこそ わが「人生」はあるのだ
歩きつづけ 行きぬいた 尊い証明として
「流れの中で」
聞ける時に聞いておかないと
決して聞けないコトバがある
言える時に言っておかないと
再び言えないコトバがある
つかめる時につかんでおかないと
死ぬまで無縁の宝がある
みがける時にみがいておかないと
光らぬまま朽ちていく宝がある
得たものを失うその数よりも
得られずに失われたものたちの数の多さ
わずかな知恵とわずかな努力が
それらに触れ得たかもしれないのに
★宮澤章二さん「行為の意味」「風鈴抄」引用