先月末、東京でよく当たると評判の占い師に見てもらった。
http://ameblo.jp/kokugo-migaku/day-20101128.html
占い師に言われたことで印象に残っていること。
「人と人との出会いは偶然ではない。出会いも必然。別れも必然。人と人は出会うべくして出会って、別れるべくして別れるのだ」
日本人は江戸中期頃まで、「合縁奇縁」や「因果応報」という思想を常識的に信じていた。
人間は「宿世(=運命)」によって生きているのだ、と。
古典に親しんでいる私にとって、占い師の言葉は水が身体に沁み入るように、すっと心に入ってきた。
根拠は全くないが、なぜか納得できた。
30代前半までの私は、「別れ」が極端に怖かった。
周りの人が自分の前から去っていくことがどうにも許せなかった。
孤独になることへの恐怖。
そんな感じだったのかもしれない。
だが、最近の私は変わった。
「去るものは追わず」という考え方が無理なくできるようになった。
きっと、母の死を体験したからだろう。
死は突然にやってきた。
母の死を乗り越えるために、「運命」という言葉を私は何度使ったろう。
努力や根性ではどうしようもないことが世の中にはある。
それを何度痛感しただろう。
…占い師は私にこうも告げた。
「あなたの『気』はとても強い。それは人を強烈に寄せ付けるが、強すぎるために人を切り捨てる刀にもなる。…あなたは人よりも多くの出会いと別れを繰り返す運命にある。去るものは追わずの気持ちで静観していなさい。誰が去って、誰が残るのかを。どんな状況になっても残る人が本物の絆で結ばれた人たちですよ」
占いに行ってこんなことを言うのも何だけど、
正直言って、占いの全てを信じているわけではない。でも、この言葉には素直にうなずけた。
人と人の間にもきっと「居心地」というものがある。
一緒にいると居心地が良い人もいれば、悪い人もいる。
居心地が良い人とはずっと一緒にいたいと思うし、悪い人とはすぐにでも離れたいと思う。
とても自然な感情だ。
昨日まで居心地が良かったのに、今日は悪くなることもある。
逆もまた然り。
人の『気』は刻々と変化しているから、そういうこともあるのだろう。
「人と人との相性は、それぞれの『気』が合うか合わないかによる。『気』は目には見えないが確かにあるのだ」
鎌倉時代の文献にもそんな内容の記述があったっけ。
人との出会いは必然。
別れもまた必然。
それならば、別れに執着してもムダというもの。
万に一つ、もしも別れる運命の2人でなければ、いつかまた出会える。
去るものは追わず。
今、私の周りにいる人たちを大切にしたい。