この仕事をしているとよくあることなのですが…。生徒がテストを持ってきますよね。すると、答えが合っているのに✖️が付いている。その答えでも正解なのに不正解として処理されていることが結構あります。
私も一応、国語のプロを自負しています。ことに古典に関しては専門分野です。だからこそ、どうしてこれで✖️なの?と気になってしまうのですよね。…同業の先生方はいかがでしょうか。こんな時、皆さんはどうされているのでしょう。
私は生徒に、なぜこの答えではダメなのかを先生に聞いておいでと伝えています。文献や資料を用意し、さらに一筆書いたものを持たせると大抵は正解に転じるのですが、たまに「そうかもしれないけど、私はこう答えて欲しいんだよね」的な、「その先生だけのルール」をごり押しするような返答が戻ってくることも稀にあります。
こういう時、それを受け入れるしか無いのですかね。生徒に「実際の入試ではそれでもOKだからね」と言うに留めて、その理不尽な採点を受け入れるのが大人の対応なのでしょうか。
実は今回、娘の定期テストで同じようなことが起こっておりまして…。教科書準拠のテキストを数冊コピーして根拠を示し、「これでも正解では?」という旨のメモを書いて持たせたのです。仕事から帰宅し、どうだったのか聞いたところ、「質問できなかった…」と娘。先生に悪い印象を持たれたら嫌だ、と言っています。
「言い回しが違うだけで、全く同じ意味なんだよ。ひかりの答えも『可能』の意味合いになっているし、教科書ガイドでもひかりと同じように訳されているんだから間違えていないんだよ。」と諭しても、顔を曇らせたままなのです。
国語は、宇宙のように広がる無数の言葉の中から、その場に相応する語を選び出して表現する学問です。文法的に合っているのにも関わらず、言い回しが異なるだけで不正解にするというのがどうにも納得できません。もしも先生の意に沿うように答えて欲しいのなら、設問を工夫して正解を限定するか、注釈を明記すべきだと思うのです。
娘が嫌だと言うことはしたくない。また、学校の先生の指導方針にあれこれと口出しもしたくない。
しかし、国語を教える人間として生徒たちを頭の固い子たちに育てて欲しくもないのです。点数なんて要らないから、もっと柔軟な対応をして欲しいと切に願います。何よりも正解は正解なのに×はさすがに無いでしょう。不正解であるという筋の通った理由が聞きたいのです。
娘のため、ましてや自分のためにではなく、国語の指導者としての立場から、どうするのが最善なのか、もう少し考えたいと思います。