故人・Sくん(9歳)はとてもキレイな瞳を持つ子どもでした。
彼が亡くなったのはもうずいぶん前のことです。
でも、私の中には今でもSくんが生きています。
当時、私は高校生。
近所に住んでいたこともあり、夏休みに一度だけSくんの勉強をみてあげたことがあります。
Sくんの両親は離婚していて、お母さんは昼夜問わずに働いていました。
1人で子どもを育てる心労もあったのでしょうか。
イライラしてSくんに感情をぶつける、お母さんのヒステリックな怒鳴り声が聞こえてくることもありました。
そんなSくんがある日突然、重い病気を宣告されます。
病気が判明した時にはすでに、手の施しようがない状態だったようです。
数ヶ月の入院生活の後、自宅療養に切り替えたSくんをお見舞いに行きました。
屈託のない笑顔でSくんは、近況を報告してくれます。
Sくんはこう言っていました。
「お母さんが悲しい顔をするのが、ぼくは一番悲しい」
自分が一番辛いのに…。苦しいのに…。
一緒にお見舞いに行った母は、その言葉を聴いた途端、堪えきれずに、わっと激しく泣き出しました。
私はそんな母を制しながら、何とか涙を押さえます。
その時の自分の感情、今でもはっきり覚えています。
悲しみとは違う、「尊敬」のような思い。
眩しくて直視できないほどの「気高さ」。
…場違いなものかもしれませんが、それがSくんに対しての率直な感情でした。
Sくんはその後まもなく、静かに天に昇っていきました。
まるで、天使が空に帰って行ったかのようでした。
今日、久しぶりに次の詩
に再会しました。
読んだ時、ふと頭に浮んだのがSくんでした。
「タンザニアの名もない村の村長さんがいった言葉(黒柳徹子)」
栄養失調から脳に障害を起こし、
考えることも、しゃべることも、歩くこともできずに、
ただ地面を這っているだけの子どもたちのいる村の、
年とった村長さんが、私にこういった。
「黒柳さん、これだけは、おぼえて帰ってください。
大人は死ぬときに、苦しいとか、痛いとか、いろいろいいますが、
子どもは何もいいません。
大人を信頼し、黙って、バナナの葉っぱの下で死んでいくのです」
インドで破傷風にかかっている男の子に会った。
私は、その子に日本語だったけど、そっと話かけた。
「お医者さまもやってくださってるし、頑張るのよ」
その子は、大きな美しい目で私を見ると、
のどの奥で「ウ、ウウ……」と声を出した。
破傷風は恐ろしい病気で、体中の筋肉が硬直してしまうので、
話すこともできなくなる。
私は看護婦さんに、なんといったのか聞いた。
看護婦さんは、その子が私に、
「あなたの、お幸せを祈っています」といっている、といった。
私は言葉がなかった。
死にそうなその子は、なんの不満もいわずに、
それだけいった。
(村長さんがいったのは、こういうことだったのだ)
村長さんと、その子のいった言葉は、
いつも、私の胸の中にある。