2010年9月に書いたものを校正した記事です。
最近、「概念」と「観念」という言葉について質問されたので、もう一度アップしてみました。
今日は「概念」と「観念」の違いについて書いてみたいと思います。
概念と観念。
どちらも、現代文(特に評論)によく出てくる単語ですね。
しかも、なんだか小難しそうなイメージの言葉ですが(笑)、皆さんはこの2つの言葉の違い、わかりますか?
簡潔に言うと次の通りです。
概念… あるものに関する「客観的で共通」した意味内容
観念… あるものに関する「主観的」なイメージ
例を挙げて説明しますね。
先生:(ボールペンを指して)「これは何をするための道具ですか?」
Aさん:「はい!文字や絵などを書くための道具です。」
Bさん:「はい!自己の内面を外界に表出させる手段の1つとして作り出された道具です。」
Aさんの言葉、「ボールペンは文字や絵などを書くための道具です。」
これは、ボールペンに関する「概念」です。
「ボールペンは書くための道具だ」ということに、「違うよ!」と異議を唱える人はいませんよね。
100人いたら、きっとほぼ全員Aさんと同じようなことを言うでしょう。
一般的で、みんなが共通して持っている認識なので「概念」です。
一方、Bさんの「ボールペンは、自己の内面を外界に表出させる手段の1つとして作り出された道具だ」というのは「観念」です。
「ボールペンは自己の内面を……」と言う部分は、Bさんの主観・意見です。
みんながみんな「そうだね!」と言う訳ではありません。「ワケがわからん」と言う人も多いでしょう(笑)。
Bさんの言っていることが正しいとか間違えているとかではなく、「一般論」ではありませんよね。
だから、この言葉は「ボールペンに関するBさんの観念」です。
ところで、「観念」と言えば、「固定観念」という言葉が思い浮かびませんか?
固定観念とは、「こうに違いない!と凝り固まった考えや思い」のことです。
良い意味ではほとんど使われず、「固定観念に囚われてはいけない」などという使われ方をします。
主観である「観念」の度が過ぎると、固定観念の一種である「妄想」「妄信」の域に突入してしまう恐れがあります。
私を含め、誰もが固定観念の呪縛にはまりやすいので、気を付けなければいけません。
ちなみに、「固定概念」という使い方をしている人を見かけますが、これは本来誤用です。
「固定観念」はあっても、「固定概念」という言葉は存在しないため、辞書にも載っていません。
「概念」はそもそもが、「一般的・普遍的な考え」…つまり、意味内容ががっちりと固定された言葉です。
観念のように、個人の見解で意味が多種多様にブレたりしません。
それなのに、あえて「固定」という言葉を頭に付ける必要がないのです。
いかがでしょうか?
少しわかりにくかったかな?
中学生、高校生の皆さんは、現代文の問題でこの2語が出てきたら、
「概念」は「一般論」
「観念」は個人的な考え」
…そう意味を捉えて読解しましょうね!