「確信犯」という言葉。
本来の意味は、「政治的、思想的、宗教的道義などに従い、良いと思ってする行為のこと」です。
「良いと思って」というのがポイントで、例えそれが結果的、一般的に間違いだとしても関係ありません。
本人が良いことだ、正しいことだと確信して行うのを「確信犯」と言います。
しかし今はこの本来の意味ではなく、
全く逆の「悪いとわかっていてやる」という内容で使われることが多くなっていますよね。
例えば、
「あいつ、宿題をやりたくないから問題集をわざと忘れて行ったな。絶対に確信犯だ!」
などのように。
良いこと、正しいことだと思って「教科書を忘れた」わけではないので、本来は誤用です。
だけど、最近はこのように使う人が増えたので(…というか大半はこう使っているようです)、許容されているみたいですね。
言葉は流動的で、時代とともに変遷するもの。
「それは誤用だ!」と、いちいち目くじらを立てるのはどうかと思います。
だけど古典好きの私としては、言葉の意味に裏付けられた美しさが希薄になる感じがして、少々寂しい気がします。