塾長ブログ

「感染しても怖くない」発言の裏にあるもの

ドリフ世代なのもあり、志村けんさんのご逝去には大きな ショックを受けました。
きっと回復するはず。そう心のどこかで信じていた折の訃報。
衝撃と哀しみで胸が苦しくなります。

 

コロナの感染拡大を意に介さず、自粛にも理解を示さない若い世代の人達の言動が、社会問題の1つになっていますね。

思うにこれは「想像力の欠如」に拠るものではないでしょうか。
「自分は全然怖くない」
「感染しても重病にはならない」
「移ったら移った時だ」
などと豪語する人達は、きっと想像する力が弱いのだと思います。

確かに若くて持病のない若者は重病にならないのかもしれません。でも、自分が感染源となって、知らず知らずのうちに誰かに感染させるかもしれない。そしてその人は死に至るかもしれない。家族に移してしまったら、高齢の祖母や祖父が重症化するかもしれない。もしも職場の人に移したら、その会社が営業を持続できなくなるかもしれない。結果的に客足が遠退いて組織が存続できなくなるかもしれない。そうなると失業して生活に困窮する人がいるかもしれない。はたまた、感染しているとは知らずに立ち寄った先のお店が、自分のせいで営業停止になるかもしれない。

それは誰の身にも起こりうることです。
若いから関係ない、他県のことだから、他国のことだから…ではありません。決して他人事ではないことは、少し想像を巡らしたら解るはずなのです。巡りめぐって己に災事が降りかかってくるまで、気付かない、思い当たらないなんて愚か過ぎるではありませんか。一体なんのために、小学生から何年間も学んできたのかと首を傾げたくなります。

政治の中枢にいる方々も、常に見えない先を想像し、迅速に行動に移さなければなりません。怒りやストレスの矛先を向けたくなる気持ちはわからなくもないのですが、今は誰かに責任を被せたり批判したりしている場合ではないと思います。ずっと自粛しろと言っている訳ではなく、今がその時だと自覚して行動すべきだと言う声がなぜ届かないのか。私も指導者の1人として大いに憂慮すべきことであり、「最近の若者は…」の一言で片付けられる問題ではありません。メディアで彼らの言葉を聞く度に大きな課題を突きつけられている気分になります。

「コロナなんて怖くない」若者だけではなく、そんな彼らを生んでいる社会について、そして、想像する力を学び取らせられなかった学校教育のあり方について、改めて考えさせられてしまうのです。

 

代案のない意見は単なる文句。それは私の持論です。今、自分にできること、やるべきことを考えながら、実行に移していきたいと思っています。

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