塾長ブログ

自分の感受性くらい

特別授業「自分の感受性くらい」(NHK出版)を読みました。東京工業大学の教授であり批評家である若松英輔先生。東京の豊島岡女子学園中学校にて特別授業を行った時の様子が収められています。巻末には先生に宛てた生徒たちのメッセージが掲載されていますが、その理解の深さにも驚かされました。
授業では、茨木のり子さんの詩を紹介しながら、「詩とはなにか」「ことばとは何か」等をわかりやすく生徒に説明しています。こんな授業を中学生の時に受けていたら私の人生も変わっていただろうな。本気でそう思います。自分も一指導者として、若松先生のように琴線に触れるような授業がしたいものです。
私も高校生の頃に「自分の感受性くらい」という詩に出会いましたが、30年経った今でも、そのことばは消えない炎の如く心に燃え続けています。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
「感受性」とは、「みんなに平等に与えられた感性が、その人らしく開花した状態のことを指す」と若松先生は言います。
経験を通じて発見をしたり気付きを得たり。自分の心の中に芽生えた感受性の芽を大切に育てていかなければ花は咲きません。また、光を当て、水をやらないといずれは枯れてしまいます。幼い頃は親や教師が種を蒔いてやる必要もあるでしょう。しかし、ある程度の年齢に達してからは、他人ではなく、自分自身がその責任のもとに感受性を守り、育てていかなくてはならない。茨木のり子さんは自身に向け、自戒の念を込めてそう話します。
私もいつも考えています。
生徒たちの感受性にたっぷりと光を当てること。それが指導者である自分の役割の1つであると。いつの日か、それぞれの色や形に満開の花を咲かせるその日まで、小さな芽を見逃さず慈しみながら見守っていきたいと思っています。


メール

お問い合わせ

塾に関するお問い合わせ・ご相談はこちらから。

シェイプ
カレンダー

スケジュールカレンダー

各校のスケジュール確認はこちらから。

シェイプ