塾長ブログ

具体と抽象

具体と抽象。
私たちはこれら両者を用いて、物事を考えたり、説明したりしています。
国語の学習をする際は、両者をしっかり意識することが上達の鍵の1つです。
具体から抽象へ。
抽象から具体へ。
その作業を難なくできる子は国語の力もあるものです。
例えば、こんな問題があったとします。
(母であるマリ子は、なかなか帰宅しない小学生の娘をあちこち探し回ります。その途中、近頃近所で不審者が出没するという噂を耳にして不安を募らせます。)
マリ子は公園の入口まで来ると、「ユリ!ユリ!」と大声で叫んだ。膝がガクガクするのを両手でぐっと押さえつけ、広い園内を駆け出そうとしたその時、背後から聞きなれた声がした。「お母さん?」…振り返るとそこにはユリが立っていた。手には薄紫のコスモスが5本ほど握られている。マリ子は力いっぱいユリを抱き締めて泣いた。声を上げ、子どものように泣いた。

問題  傍線のようにマリ子が「泣いた」のはなぜですか。
生徒の答えでよくあるのがこれ。
「娘が見つかったから。」
「公園に、探していた娘がいたから。」
確かにある意味、間違えてはいません。でも、「見つかったから」泣く、「娘がいたから」泣く…では説明不足です。どうして見つかったから泣くのでしょう。見つかったのだから、やったあ!と笑っていてもよいですよね。何故泣くことがあるのでしょうか?
このような「物語」や「小説」においては、文章に書かれてある「事実」や「言動」を通じて、その人物の心情を類推しなくてはいけません。具体的な事実、言動から、抽象的な心情を察知しなければならないのです。
上の文章で言うと、
⚫️マリ子の娘が帰宅しない
⚫️マリ子が娘を探し回った
⚫️最近、近所に不審者が出るという噂を聞いた
⚫️娘が見つかった
これらは全て具体的事実です。これらを答えとして書くだけでは不十分なのです。
⚫️マリ子は泣いた→具体的事実
どうして泣いたのか?
⚫️探していた娘が見つかったから→具体的事実
見つかってどう思ったのか?
⚫️安心した/ホッとした/安心して気が緩んだ/ホッとして肩の力が抜けた
→抽象的な心情
先程の問題の模範解答としては、
必死に探していた娘が見つかり、安心して気が緩んだから。
となります。
娘が見つかった。だから泣いた…では説明不足です。見つかった時の心情を推察して言葉で置き換え、「安心した」まで書かないと点数はもらえない、または減点されてしまいます。
物語ばかりではなく、随筆や説明文でも同じです。文に書いてあることだけを切り貼りしてチョコチョコまとめる。それで点数が取れるうちはよいのですが、難関校受験を目指す生徒にはどうにも心もとない解答が出来上がります。国語の試験では、書いてある事実(具体)を総括(抽象)する力が問われるのです。そのためには、正確に文章を読み進める力、「つまり~」「一言で言うと~」「まとめると~」などと、端的に要約する力、具体的な事象を的確な言葉で言い表す語彙力など、複合的な国語力を要します。
…なんだか話が専門的な上、それこそ抽象的な説明になってしまいましたね。ごめんなさい。
これらを受験テクニックとして仕入れるのではなく、普段のみがくの学習の中で徐々に身に付くような教材を作成しています。
お休みをいただいたことで、国語について熟考する時間が取れましたよ。…いやね、体は痛いのですが、ただ黙って横になるのは退屈の極み。教材を考えている時間は私にとって、気晴らしにもなる楽しくワクワクした時間なのですよ。
来週からは少しずつ体を慣らしながら、毎日教室に向かいたいと思います。


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