塾長ブログ

全ての道は「あの場所」に通ず。

「究めたい」何かがあるとします。
脇目もふらず、一直線に道を進むよりも、あちこち脇道に逸れながら進むほうが、むしろ早道だったりすることがあります。

例えば、私の場合。
講師になった当初は、「古文」だけを専門に教えていました。テキスト通り、マニュアル通りでは上手くいかないことが多く、様々な工夫を凝らしながら指導をしたものです。古語や文法を生徒に何とか楽しく覚えてもらおうと、ミスチルや安室ちゃんなどの現代ポップスを古文訳して教材に使ってみたり、時間があれば古文の文献を読み漁って知識の幅を広げたり。
どうしたら、もっと上手く教えられるのか。どうしたら、もっと古文の成績を上げられるのだろう。毎日毎日考えていました。

そしてそのうち壁にぶつかります。越えようにも壊そうにも儘ならない大きな壁。自分はこの道に向いていないのではないか。まさに暗中模索。真っ暗闇のトンネルを1人で歩いているような不安と焦り。そんな毎日でした。

ある日のこと。成り行きから、古文だけではなく、漢文も教えることになりました。そのためには勉強をせざるを得ません。 最初は「どうして漢文なんか…。」と、渋々教えていたものの、意外なことに気付きます。漢文指導を通じて古文がより深く理解できるようになってきたのです。拘りを捨てて、現代文や小論文も教えることにしました。すると一層、古文という教科の輪郭がはっきり見えるようになったから不思議です。

何かを掴みかけた私はその後、他の教科にも手を広げてみました。家庭教師先では、古典だけではなく、かねて頼まれていた日本史も教えてみることにしたのです。当時、主に高学年の国語を担当していた公文教室でも、中高生の英語と数学(K教材までですが)も同時に教えることになりました。私は大の数学嫌いなので、さすがに不安はありましたが、錆び付いた蓋を開けて見ると漢文や日本史以上の発見や気付きがありました。数学と現代文の共通点、現代文だけの特性。数学指導を介して見えてくるものの何と多いこと!論理という同じ軸を持つ数学を、私とは無関係で対極の教科だと断じていた自分の浅はかさを思い知ったものです。

その後、私は会社経営も経験します。ある時期、完全に塾の仕事から離れていたこともありました。そのことも今となっては良い経験になったと思います。「今は勉強を教えていないけれど、現場に戻ったときには以前より上手く教えられるだろう」…日に日に強くなるそんな根拠のない確信を、自然と受け入れられる自分がいました。

様々な教科を指導することによって。また、異なる分野の仕事をすることによって、自分が本当に辿り着きたい場所はどこなのか、指導の根幹とは何たるものか、驚くほど明確になりました。

何事もきっと、「関係ない」ことなど有りはしないのだと思います。関係ないと切り捨ててしまう意識こそが道を見えなくしているとも言えます。ジャンルや事の細大を問わず、どんなことでも汗をかいて真摯に取り組みさえすれば、必ず目指すべきところへ行き着ける。
私はそう信じています。


メール

お問い合わせ

塾に関するお問い合わせ・ご相談はこちらから。

シェイプ
カレンダー

スケジュールカレンダー

各校のスケジュール確認はこちらから。

シェイプ