今日は大学センター試験。
危惧していた雪による試験時間変更もなく、定時に始まったみたいですね。
ほっと一安心です!
今までの努力が報われるよう、心から祈っています。
受験生である皆さんは、まだ実感も経験もないのでピンとこないかもしれません。
でも、これから書くことをどうか信じてください。
大学入試は、「人間の価値」を量るためのものではありません。
本番までに学力を蓄えることや、
ここぞという時に実力を発揮できる精神力を養うことは、とても大切なこと。
でも、力が及ばなかったからと言って「絶望」する必要はないのです。
入試は、あなたの長い人生における単なる通過点です。
もしも今回がダメでも、別の道は目の前に無数に開けています。
人生、必ずしも「最短距離」を行くことが成功だとは限りません。
「遠回り」なんてものはきっと無くて、
通る道で出会った人やもの、経験…全てがあなたという人間を作る財産になります。
私は今まで、沢山の受験生を送り出してきました。
試験に受かっても、すぐに大学を辞めてしまった生徒が山ほどいます。
逆に、試験に通らなかった生徒でも、のちに仕事で大成功を収めた人もいます。
試験結果は、学力や精神力、そして「運」をも全てひっくるめて、「あなたの今(現実)」です。
そこから逃げず、しっかり受け入れること。
それが、明るい未来へと続く道の第1歩だと思います。
「人間万事 塞翁が馬(さいおうがうま)※」ですよ。
※人間の幸福・不運は変転して予測ができない。だから容易に悲しんだり喜んだりするべきではない…と言う意味の故事成語。
(語源由来の原文)
近塞上之人、有善術者。
馬無故亡而入胡。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居數月、其馬將胡駿馬而帰。
人皆賀之。
其父曰、此何遽不為禍乎。
家富良馬。
其子好騎、墜而折其髀。
人皆弔之。
其父曰、此何遽不為福乎。
居一年、胡人大入塞。
丁壮者引弦而戦。
近塞之人、死者十九。
此獨以跛之故、父子相保。
故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。
(現代語訳)
辺境の砦の近くに、占いの術に長けた者がいた。
ある時、その人の馬がどうしたことか、北方の異民族の地へと逃げ出してしまった。
人々が慰めると、その人は「これがどうして福とならないと言えようか」と言った。
数ヶ月たった頃、その馬が異民族の地から駿馬を引き連れて帰って来た。
人々がお祝いを言うと、
その人は「これがどうして禍(災難)をもたらさないと言えようか」と言った。
やがてその人の家には、良馬が増えた。
その人の子供は乗馬を好むようになったが、
馬から落ちて股の骨を折ってしまった。
人々がお見舞いを述べると、その人は言った。
「これがどうして福(幸福)をもたらさないと言えよう」
一年が過ぎる頃、砦に異民族が攻め寄せて来た。
成人している男子は弓を引いて戦い、
砦のそばに住んでいた者は、十人のうち九人までが戦死してしまった。
その人の息子は足が不自由だったために戦争に駆り出されずにすみ、
父とともに生きながらえる事ができた。
このように、福は禍となり、
禍は福となるという変化は深淵で、見極める事はできないのである。