種田山頭火という俳人がいます。
「昭和の芭蕉」とも言われ、自由律俳句を得意としている歌詠みです。
自由律俳句とは、五七五の定型や季語に縛られずに自由に表現するもの。山頭火のほかにも尾崎放哉も自由律俳句の俳人として有名です。
自由律俳句の作品は学校の教科書にも掲載されています。
例えばこの歌。
咳をしても一人 (尾崎放哉)
八万を超える歌を詠んだと言われる種田山頭火の歌をいくつかご紹介しますね。
まずは有名どころ。
★分け入っても分け入っても青い山 
★濁れる水の流れつつ澄む 
★窓あけて窓いっぱいの春 
★秋風の石を拾ふ 
★あるがまま雑草として芽をふく 
★いつも一人で赤とんぼ 
★生死の中の雪ふりしきる
こんな歌もありますよ。題して「哀愁」シリーズ。
★まっすぐな道でさみしい 
★どうしやうもないわたしが歩いてゐる 
★風ふいて一文もない 
★お天気がよすぎる独りぼっち
…悲しいですね。孤独感と自己否定感がひしひしと伝わってきます。
次は、「素朴」シリーズです。
★今日の道のたんぽぽ咲いた 
★こんなにうまい水があふれてゐる 
★あたたかい白い飯が在る
…えーと。これは俳句…なのか、おじさんの独り言なのか、だんだんわからなくなってきました。
どんどんいきましょう。
次は、「酔っぱらい」シリーズ。お酒をこよなく愛した山頭火らしい作品です。
★はだかで話がはづみます 
★蛙になり切つて飛ぶ 
★酔うてこおろぎといっしよに寝ていたよ
…かなりの酔っぱらいだな。
次は、「……で??」シリーズ
★いつもつながれてほえるほかない犬です 
★殺した虫をしみじみ見てゐる 
★山あれば山を観る
…で??
自由すぎて、自由って何だろうと逆に考えさせられます。
次は、「やけっぱち」シリーズ。
★水飲んで尿して去る
★何が何やらみんな咲いてゐる 
★月夜 あるだけの米をとぐ
…これらの歌を高校の授業で知ったとき、しばらく大爆笑しました。
最後はこれまた有名な「お弁当」シリーズ。
★けふのべんたうは野のまんなかで 
★けふのべんたうは橋の下にて 
★けふも大空の下でべんたうをひらく
★けふのべんたうも草のうへにて
…俳句じゃなくて弁当記録だよね、絶対。
なぜ今回は山頭火の記事なのか。
実は最後のシリーズの、
けふも大空の下で弁当をひらく
という句がここ数日、ずっと頭から離れないのです。
大空の下でお弁当を広げて食べる。そんな当たり前でありふれたことが、今は無性に恋しく思われます。
1日も早く、そんな日が戻ってくるといいですね。