塾長ブログ

注意をするのもパワーが要るもので。

「国語専門塾みがくの放課後shout」が配信されました。

国語専門塾みがくの放課後shout ♯71

 

 

先日、元みがく生で大阪の某国立大学に通うカンタくんからメッセージが届きました。アルバイト先の上司から言葉の間違いを指摘されたそうで、「目上の人には使ってはいけない表現」についてラジオで取り上げて欲しい、とのことでした。

番組でもお話させていただいたのですが、その上司は素晴らしい方だと思います。部下の間違いをしっかり正し、カンタくんに深く考えさせるきっかけを与えたのですから。きっと人間的にも素敵な方なのでしょうね。

人に注意をするのはパワーの要る行動です。「注意をすると嫌われるのではないか…。」と怖くもなります。気にはなるものの、波風を立てずにその場をやり過ごそうというスタンスはある意味、賢明なのかもしれません。

しかし、相手のことを本当に思っているのなら、どんなに耳の痛い言葉でも相手に伝える(伝えたくなる)のではないかと思うのです。例えば、我が子ならどうでしょう。嫌われても煙たがられても、言うべきことは言う。それが我が子のためなら…と考えるのではないでしょうか。行き過ぎた言動は過保護や過干渉に繋がってしまいますが、その根底にあるのは様々な形の「愛情」なのだと思います。

ましてや上司にとって部下は他人です。変に注意をして嫌われるぐらいなら見て見ぬフリをしておけばいい。それなのに、わざわざ相手に間違いだと伝えるのだから、その部下に少なからず愛情があり、また期待もしている表れなのだとも言えます(残念ながら単なる私情でモノを言う人もいますが💧)。

…かく言う私も生徒や先生方に並々ならぬ愛情と感謝の気持ちを持っているつもりです。特に生徒たちに対する思い入れは強く、何とかして国語力•コミュニケーション力を上げてやりたいと常に考えています。それは卒業生に対しても変わりません。そのためにいつも多くの人からの頼まれごとで汲々としていますが、それが自分という人間の資質であり、使命でもあると自負しています。

だから注意もしますし、思うことはしっかりと相手に伝えます。たとえそれで嫌われたとしても仕方ないと思っています。私も一昔前は八方美人でしたが、今は「嫌われたくない」という発想自体が無いと言いますか、紆余曲折を経た過程でどこかに置き忘れてきたようなのです(笑)。嫌われてもいいから、自分に与えられたミッションを遂行したい。その覚悟で生徒や保護者の方々と向き合っています。自分と合わない人は自然と疎遠になっていくものだし(人間関係ふるいの法則と呼んでいます)、去っていく人を追うなんて無駄なことはしません。合わない人や自分から離れていく人に嫌われたとしても一向に構わない。今、私の周りにいる人、信じてついてきてくれる人、連絡をくれる人のために奔走しよう、大いに頭を悩まそう。そう思うわけです。

話は戻りますが、カンタくんが良い上司に恵まれたことも、みがくを卒業した後でもこうして連絡をくれることも、この上なく嬉しく感じています。

メール

お問い合わせ

塾に関するお問い合わせ・ご相談はこちらから。

シェイプ
カレンダー

スケジュールカレンダー

各校のスケジュール確認はこちらから。

シェイプ